医学を超えて人間の健康を追求する人生の処方箋

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運命

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占星術師との出会い占星術フラクタル占星術の歴史心理学と占星術占星術の目的
易経とユング補償作用(自然治癒力)タオ心理学・物理学・易経における世界観私の運命とは?

「私の運命」は決まっているのでしょうか?
私が一番最初に出会った占い?はインド旅行の時でした。
クリシュナ(インドの神様の1人)の寺院に参拝に行った時、コインを入れて体重を量る体重計があったのです。
インドの食事と旅の疲れもあって、大分痩せて来ているのでは無いか?という事でコインを入れて早速計って見ました。その時大分痩せていた記憶がありますが、それはまあ「良し」としておきましょう。
体重を計り終えると何だか、紙切れが出てきました。
何だこれ?と思っていると周りのインド人がこれは占いだよ、と教えてくれました。
体重測定と占い?? 何だか良く分かりませんが紙を手にとって見てみるとそこには
「Great magnetic with proud and confidence」と書いてありました。
ん??
ここで言う「マグネティック」ってどういう意味だろう?と思って周囲のインド人に聞くと「人を引き付けると言う意味さ、マグネットだよ。これはいい結果が出たよ。」と教えてくれました。
「誇りと自信を持って人々を引き付ける」か、いい言葉だな〜。
その言葉には何故か私の心に響く物を感じましたが、何時しかそのまま忘れ去っていました。

占星術師との出会い

それから、暫く占いとは縁がなく、忙しい毎日を過ごしていました。
3〜4年の月日が経った頃でしょうか、ある日面白い人に出会いました。
その人は、初めて会った時「あ〜昨日どうして手伝ってくれなかったの?」といきなり声をかけて来るのです??
人違いかな??と思っていると、「昨日私の夢の中に出てきたじゃない、覚えてないの〜」ますます分けが分かりません。
どういう訳か聞いてみると「昨日の夢の中で、パソコンを運んでる場面があり、そこで1000円か2000円でそのパソコンを運んでください!と頼んだ所、拒否された」と言うのです。そしてその拒否したのが私だと言うんです。
そんな事突然言われても私も困ってしまいますね。
この人は、今までにも面白い夢を何度か見ていました。
現在2度目の夫と結婚しているそうですが、まだ1度目の夫と結婚しているある日、こんな夢を見たそうです。
「私と男の人が向かい合って立っていて、私と彼の両脇にはそれぞれ白い服を着た人達が立っています。彼らも横一列に向かい合って私と彼の左右それぞれに3・4人づつ並んでいます。夢の中で私は『えー本当にいいの?』と言います。すると隣にいる白い服をまとった人(友人だったようです)が『いいに決まってるじゃない!おめでとう』と言うのです。
そう言われた私は思わず、向かいにいる男の人に『始めまして!』と声をかけます。
すると周りにいた白い服を着た人達が口々に『おめでとう』と言ってくれました。」と言う物だったそうです。
朝、目が覚めた時覚えていたのはこの印象的なシーンと「新しいパートナーとなる」と言う言葉が頭の中に残っていたと言います。
この時、旦那さんは既にいましたから、「パートナー」ってどういう意味か良く分からず、その頃ダンスをやっていたので「ダンスのパートナーが新しくなる」と言う事かと思ったようです。
その日、旦那さんとあるコンサートに行きました。
コンサートが終わって食事会が始まったのですがその時、横に旦那さんとは別の男の人が座りました。
話の中で何かの拍子に私がダンスをやっているという事を話すと、彼もダンスを丁度始めた所で、今ダンスのパートナーを探していると言います。
そしてその彼に「一度一緒に踊ってみませんか?」と誘われたのです。
その時「あっ夢で出てきた人だ!」と分かったと言います。
そして、一度一緒にダンスを組んで踊ったら、もっとずっと一緒に踊りたくなってきたのです。
彼との間に「何か」を感じて占星術の先生に見て貰うと、「彼と結婚しますよ。」と言うではないですか。もうビックリです。
そうこうしている内に旦那との離婚話が持ち上がってきたのです。
実は数年前に一度離婚話が持ち上がった事があり、もう少しお互いに頑張ってみようという事で現在の結婚生活を続けていたのです。
どうして良いか分からなくなり色々な人に相談した所、「今の旦那さんを徹底的に愛したら、天は次の段階に進ませてくれるでしょう。」とアドバイスしてくれる人がいたんです。
そう実行したら、不思議な事に円満に離婚する事になってしまったのです。
旦那の家族も祝福してくれて「今まで有難う。これから幸せになってね」なんて言ってくれたのでした。
そして、新しい彼との結婚も信じられない位スムーズに成就したのでした。
色々な人がいるものです。

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占星術

12星座占星術

そんなこんなで色々話ていると、いつの間にか仲良くなっていました。
その人自身も、占星術を勉強していると言います。
本職は別にあるのですが、趣味で占星術を詳しく勉強しているので見てくれると言う事になりました。
当るも八掛当らぬも八掛、と言う事で興味本位ではありましたが、これも何かの縁かも知れません、折角なので見てもらう事にしました。
その頃、占星術に関して何の知識もありませんでしたが、詳しく調べてくれたようです。
肝心の内容はと言うと・・所々話の内容が飛びますが大体以下のような物でした。
(平成14年に見てもらった物です)
親の価値観から抜けて、育った環境から離脱してゆきます。
血縁関係とは違った世界へ広がって来るようです。
今回の人生は社会的な所へ固まっている。
公>>私
3〜4年後に出会う仲間(一心同体)で何かをやるようですね。
その動きはもう始まっています、直感力もUpして来ますよ。
グローバルなネットワーク(世界中を)素早いスピードで動く様です。それも自由な形で。何かスポーツをしている方が良いでしょう。
あなたのテーマは「真の自由・平等・公平」で真理を追究したい様です。
人の体の事が見ただけで分かる、未開の地でも医療が出来ます。
直感と繋がるのがテーマです、これで世界が変わってきます。
情報に頼らないで、最初の直感に頼ると良いです。
チームで直感的・・・・医療、人との関係が凄く大切です。とても働き者で奉仕したい所があります。
高次元とのつながりを強めていくと動き易くなります。
大きな事をやります。日本に留まらず・・。
仲間とやる時は全く違う回路が作動します。
直感・高次の意識へ感覚を向けるのが良いです。
馬の様にSpeedy、行動力があります。
人種や文化を超えて色んな国の色々な医療を学んで行きます。
瞑想が向いています。色いろなインスピレーションをもっと仲間に伝えて行く事が必要で、そうした方が良い影響があります。
周囲の情報に惑わされずに、直感を優先して行きます。友人は人種、年齢を超えて沢山出来ます。
今後2〜6年の間に大変化してその後10年の土台が出来ます。大分具体的な内容でビックリしました。今までの大衆版星占いとは、一線を隔したものがあります。
内容をじっくり見てみると、結構当っている所もあります。
人の体を見ただけでは分かりませんが、医療関係の仕事をしていましたし、直感と言うか「これは!」と思うと行動も早くなって来ていました。
つい数年前まではむしろ出不精で自分ではあまり動く方ではありませんでしたが、この頃は行動力、スピード力が出てきていたのです。
瞑想は好きで、真理の追究も好きでしたが、スポーツはしていませんでした。
世界中は旅行で飛び回っていました(笑)あながち外れてはいません。
数年後の事は分かりませんからその時が来るのを楽しみにしていましょう。
どうやらキーワードは「直感」の様ですね。
実際の所、占星術では私達をどう捉え、どういう視点で見て、どこまで分かる物なのでしょうか?

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フラクタル

そう思っていた頃、フラクタルという概念を知るようになりました。
皆さんはご存知でしょうか?
1960年代に数学者マンデルブローにより導入された幾何学の概念で、部分が全体と相似(自己相似)となるような図形で、どの一部にも全体の構造が見出せると言う物なのです。
つまり、どこを見ても同じ世界が広がっていると言うわけです。
微小世界の中に更に微小世界があり、巨大世界の周りには更に巨大世界がある。微小か巨大かは比較だけの差でしかないと言う事になります。
この概念を知った時私は「ハッ」としました。
というのも、良く周囲を観察してみると大自然や宇宙のいたる所にこのフラクタルな関係が見出されて来るではないですか。
ブロッコリー、玉ねぎ、リアス式海岸、雲・・・・。
そして、私達人間も「小宇宙」と表現される様に、天空の「大宇宙」とフラクタルな関係にあると考えられていたのです。
天空の惑星と人間の意識も相似形になっていて同じエネルギーで動いているとするならば、天空の惑星の配置を見る事で、人間を見る(占う)事が出来るはずではないですか。
こうなってくると、たかが星占いなどとは言っていられなくなってきますよね。
占星術が長い歴史の中で消えてしまわずに代々伝えられて来たのにもそれなりの理由があったわけです。
今回の占星術師達に出会うまでは、私は今まで何も知らずに、何の知識も無いまま、占星術や占いに対して偏見を持ち、見向きもしませんでした。
さて、そうと気がついた以上、探求しないわけには行きませんね。
ちょっとその歴史を見てみましょうか。

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占星術の歴史

astronomyとastrologyの図

古代文明において天文学(astronomy)と占星学(astrology)は切り離せない物だったようです。即ち「星を見る者」(スターゲイザー)は観測者であり解釈者でもあったのです。
それが18世紀までに天文学者と占星術家の役割は完全に個別のものとなって行ったのでした。
占星術は歴史上、生活と密着し存在して来ました。
英語のconsiderやフランス語のconsiderer(日本語で「熟考する」)はsidus(星)から発生した言葉で、字義通りには「星をまとめ合わせる」と言う意味になるのです。
有史前の巨石遺跡達は天文学的な知識を取り入れていると思われる様々なパターンで建てられています。例えばイギリスのストーンヘンジ、古代の神殿やピラミッド・・等は月の位置、太陽の軌道、星の位置に関する深い知識を持っていた可能性が示唆されています。
メソポタミア文明では自然現象は全て天の影響下にあり、同じ包括的秩序に属していると考えられていました。各曜日の名称もその日の最初の時間帯を支配する惑星にちなんで付けられたのです。土星の日(Saturday)太陽の日(Sunday)月の日(Monday)火星の日(Tuesday)水星の日(Wednesday)木星の日(Thursday)金星の日(Friday)。
プラトン哲学の観念では、天、地球、惑星、物質と霊魂、神と実体は全て1つの普遍的な生ある魂に統一され、魂は物質的な現実を超越したものと考えられています。
中世後期の西洋世界では占星術は支配者、哲学者、教師、上流階級、等において幅広く是認されていました。
そしてそれは医学の分野も例外ではありませんでした。
現在では「医学」と「占い」と言うと全く縁がありませんが、意外な事に歴史上ではそうでも無いようです。
医師も占星術の技法を診断や予後の見通しに適応できる占星術研究家である事が期待され、医学的諺には「占星術を知らない医師は、見えない目のようなものだ」と言う物まであります。身体の各部位は特定の星座の影響下にあると考えられていました。
例えば太陽が魚座にある時に生まれた人は脚に関係する病気になりやすいとか、双子座生まれの場合は胸の病気に罹りやすいとされています。
他にも、梅毒の原因と考えられていた、土星の有害な影響に対抗する手段として、占星術では水星(マーキュリー)が土星の正式な調停者とされていた事から、治療に水銀(マーキュリー)を用いました。
実際、抗生物質の出現以前は水銀化合物が梅毒の治療に効果的な主成分の一部である事が分かったのでした。
1348年パリの医学部では、火星、木星、土星が数年前に水瓶座でコンジャンクション(一緒になっている)を形成した事に基づいて医学的な大災害が差し迫っていると言う予測を公表しました。実際それから程なく腺ペストが発生し、この声明は予言とみなされたのでした。
また1493年「羊飼いの書」では、各時間は特定の惑星に支配されている事、天体と健康・病気・治療法とのかかわり、そして誕生時の太陽のサインやアセンダントのサインと個人の身体的特徴とそのかかわり等が記されています。
17世紀のイングランドではカルぺパーにより、あらゆる病気やその症状、そして全ての植物は天体の影響下にある為、効果的な治療を施す為には薬草の占星術的な関連づけが影響を受けている身体の部分とその病気に適したものでなければならないとされていました。
また、こんな科学的?調査も行われました。
1950年代にはゴークラン夫妻が、いかなる予断も持たずに完全に緻密な統計学的調査によって、惑星の位置と人々の職業的傾向に相互関係があると言う提議を証明したのです。
(例えば傑出した運動選手は火星が空のある位置に入っている時に誕生している傾向が強く、政治家は木星が特定の位置にある時に誕生している。等)
19・20世紀になると王やオペラ歌手、映画スター、財政家、等様々な職業の著名人が助言者として占星術師を頼りにしていました。そして、混迷を続ける現在でも・・・。
今、占星学的時代は魚座から水瓶座に移動する時期であります。
占星学的な考え方では、各時代の文明の特徴が、その時代に太陽の方角にある星座の特性と一致していると考えられています。この星座は約2100年で一星座移動します。
魚 座の時代:紀元元年〜2000年頃
二分化や争いが多く現れてきた。魚座の神秘性に基づき、人類が物質のみでなく精神をも重要視するようになった。
水瓶座の時代:紀元2000年〜4000年頃
先代に培われた様々な事柄が統合に向かう。物質と精神が等しく評価され、その融合の中に新しい生活の価値観が出てくる時代。
水瓶座は「顕在化された人生の背後にあるエネルギーの法則を知り、理解したいという意識的な態度(つまり生命の神秘を探求する態度)」を象徴しています。
この文章に目を通しているあなたにも、そのエネルギーの影響が及んでいると言うわけですね。
と言うわけで、やはり現在常識で考えられている以上に、宇宙の中の一員として存在する私達人間は星の影響を受けていて、昔からその事はずーーと色いろな場面で利用されてきていたのです。それが最近、人間を自然と切り離して考えるようになり占星術も軽んじられる様になってしまったのかも知れません。

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心理学と占星術

通常多くの人は、占いで、自分の将来がどうなって行くのか、どんな事が起こるのかを知りたくて、見てもらう訳ですが。
そもそも、私達の周りの世界とは、どのようにして存在しているのでしょうか?
心理学的側面からもちょっと考えて見たいと思います。
私達が自分の事であれ、他人の事であれ、現実に対して抱く概念は、いつも自分の心の色眼鏡を通した物です。
この色眼鏡は自分の思考パターンで周囲を見る物なので、逆に言えば自分の思考パターンを相手の中に見ているとも言えます。
このように、「自分の心の状態や思考パターンを人や物に映し出す事(見る事)」を心理学では「投影」と呼びます。
映画に例えてみますと、スクリーン上に投影されたある映像を見るとき、その本来の源である映写機内のフィルムやスライド、映写機の光を見るのではなく、スクリーンに映し出された像を見てそれに反応しますよね。
それと同じように、人が自分の中にある無意識的な性質(映写機内のフィルム)を他の人(スクリーン)に投影する時、私達はあたかもそれが他人に属していたかの様に反応するという訳です。
その原因を自分自身に中に振り返るなどといった事は思いつかないのです。
その投影がまるで自分の外にあるものの様に扱い、それによる衝撃は通常、非常に感情的な高まりを呼び起こします。
何故なら実際に直面しているのは自分自身の無意識的自己であるからです。
自我とは、表在意識の中心であり、自分自身について理解している全てであり、その人が周りに見る(住んでいる)世界は、自我の視点(色眼鏡)に影響されて見えている世界、と言う訳です。
占星学では個人の気質は誕生時に受け継がれたものと考えます。
占星学はその私達が知らない部分(無意識的自己)についても教えてくれるのです。
出生図は地球を中心に据えた曼荼羅(まんだら)です、言い換えると「人生が本来どうあるかと言う事より、人生がその人の意識によってどう見られ、どのように経験されるか」と言う事を示しているのです。
人間だけでなく、組織、国家、イデオロギー、人種なども本人が気付いていない面を投影する対象になります。
私達が投影を認めたくないのは何ら不思議な事ではありません。
私達の現実は自分自身で作り上げた物(現実は自分の無意識的な性質を投影した世界)でしかないと言う事を認める代わりに、自分の痛みを他人の責任にすれば良い分けですから。
生命そのものを形作っている潜在的エネルギーをユングは元型(アーキタイプ)と呼びました。この元型には形はありませんが広大な自然の中にある数々の象徴を通して私達と通じてきます。
つまり、自然それ自体も人間同様、元型の様式に従って機能すると同時に具現化しています。例えば季節の移り変わり春・夏・秋・冬は人間の誕生・成長・老衰・死と見る事が出来ます。
太陽のサイクルも同じように東から上り・天頂で南中し・西に沈み・夜に消えます。
古代人にとっては、太陽の動きに人生全体が反映されていると信じられていた為、太陽のサイクルは神の表現のように見えたのです。
占星術でのバースチャート(出生天宮図)は人の運命を宿命的に記したものではなく、むしろ人の性格の潜在的発展性の大まかな筋を象徴するものです。
人間は自分の要求や恐れ、才能に従って行動し、人生を築いていて、そういった傾向は生まれつきの性質から生じている事は理解できますよね。
この点で性格とは運命とも言えるのではないでしょうか。
運命とは何をするか「定められている物」であり、自由意志とは自らが「選択する物」であるという解釈は、これらの対立概念が実は「1つで、同じ物である」と言うパラドックス(矛盾)を理解する事を不可能にしていたのです。
時の流れの中の、ある特定の瞬間の天空の位置は、その瞬間の属性を反映させる事によって人間であれ、街、思想、社会、結婚であれその瞬間に生まれた全ての物の属性をも表わしています。一方が他方を引き起こすのではなく、それらは共時的(シンクロナス)に起こり、互いに鏡となっているのです。
つまり、互いにフラクタルな関係とも言えますね。
ですから、バースチャート(出生天宮図)は個人を作り上げている様々なエネルギーのパターンであり、潜在的に人格に属する全ての物であり、(それが完全に意識化された時の)青写真です。

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占星術の目的

占星術の目的は惑星の影響を克服する事にあるのではなく、チャートが象徴する全ての性質や衝動を(気づかせて)表現する機会を与える事にあるのです。
そうしてこそ初めて、人は人生で成長する為の本来の計画に、思った通りに近づいて行く事が出来るのです。
このような視点から見ると、バースチャートを理解する事が人生の行路を理解する上で新たな次元を与えてくれる事が明らかになるでしょう。
同様に2人のホロスコープを比較する事で2人の人生の相互作用についてもかなりの情報を得る事が出来るでしょう。
ホロスコープとは人が誕生した瞬間、場所から見た天体地図に過ぎませんが、獣帯(注)にある12の星座で出来た環(サークル)は全体性の象徴であり、全体性の宇宙的象徴なのです。そしてそれは曼荼羅(まんだら)であり、人間の心の潜在的な全体性の象徴的表現です。
つまり、宇宙と人間は同じ原料、エネルギーで作られていますが、そのパターンに独自の刻印を与えるエネルギー固有の配列があって、それこそが個性であり個々の人生なのです。
(注) 太陽が通る道を黄道といいます。黄道を12分割してそれぞれに12の特定の星座にあたる獣(生き物)が設置され獣帯と呼ばれています。
古代の秘教的教義では宇宙は巨大な生命体であり、意識や目的を持った有機体であると信じられていました。そしてその物理的な形態が太陽系なのでした。
太陽は心臓を表し、その周りの月と8つの惑星は丁度、器官またはエネルギーセンターとして太陽に仕えているのです。ですから太陽は自我のシンボルであり、心の全体性を表現するための器であり手段なのです。
そして意識の中で潜在的に実現できる性質は、出世時に太陽が位置する星座によって象徴されるのです。
太陽のもつ潜在的可能性を完全に生き抜く事は一生かかる旅ですから、本当の意味で自らを問うて行くのは通常、土星回帰と呼ばれる29歳での危機の直後から始まります。
バースチャート上のある特定の星座に太陽があると、その星座によって象徴される目標がある意味で人生におけるその人の願望の一部となり、月がある特定の星座に位置すると、その星座によって象徴された本能的欲求が、感情的幸福の為に必要とするものの一部となるのです。

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易経とユング

東洋には占星術に匹敵する物として易があります。
易の占いとユングの世界観もちょっと覗いて見ましょう。
ユングは若い時から易に対する関心を持っていました。そして『易経』の中で共時性について話始めたのです。ユングは共時性(シンクロニシティー)を「意味のある偶然の一致」とも言い換えています。
「占いは偶然とは考えられない高い的中率を示した。私の経験した明白な的中数は、偶然をはるかに超えたパーセントに達していたように思われる。要するに易経において問題なのは偶発性ではなく規則性であると言う事を私は信じて疑わない」と書いています。
占いが一定の条件下で当るとすれば、そこで共時性(意味のある一致)と言う事が問題になって来ます。
易では常に主観の心の働きを考えに入れなくてはいけません。
普通、私達はそこで起こった出来事そのものに注意を奪われてしまいます。
つまり、当ったか当らないかと言う事に関心を集中してしまいます。
けれども、ここで大事な事は、出来事を観察している自分自身が全体としての出来事の中に取り込まれていると言う事なのです。
つまりこの違いは、世界の出来事を、人間的主体から独立して客観的に起こっている物と見る(※1)か、それとも主体と不可分な関係(主客同体)にあるもの(※2)とみるかの違いです。
そしてこれは無意識の問題とかかわると言うのが彼の考え方です。
易の「掛」は64に分かれています。この「掛」というのは占う人間、あるいは占ってもらう人間の一定条件下での無意識の心理状態が外へ投影されたものである、とユングは解釈しています。
つまり64に分けられた易の「掛」と言う物は、人間が重大な問題にぶつかった時の、その人を取り巻く外的状況とそれに伴う人間の心理状態を、類型的に分類してパターン化したものです。
ただし、心理状態と言ってもそれは無意識の中に隠されていて本人にも十分自覚されていない状態です。それを占いという行動によって外面化して自覚化するのが占いなのです。
無意識は直感によって、現在自分がこの世界の中に置かれている状況について何かを感じています。その感じている事を意識で認知できるように表現するのが占いと言うわけです。
そして易には必ず「変爻」と言うのがあって現在の状況を示すだけでなく、出た「掛」に対して次にどういう状況が起こるか、そしてそれに対してどう対処すれば良いかと言う事を教えるのです。
占って出た未来の状況は必ずそうなると言う決定論ではありません。その人の未来にはこういう状況が起こりそうである、と言う事を知って、後は当人が自分で決めるのです。

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補償作用(自然治癒力)

ユングは無意識には「補償」の働きがあると言っています。
これは意識が一面的に偏った態度を取っている時、無意識がそれに気付いていて、夢などの形で、意識に対してメッセージを送る、つまり警告していると言うわけです。
この「補償」の作用は身体における自然治癒力に当るような心の作用です。
生きて行く上で目的にかなった方向を教える働きが、人間の心身には潜在していると言う事です。
つまり人間(生命)の生き方に対して適切な態度をとるように教える働きが、無意識としての「魂」の内部には本来備わっていると言うわけです。
自我意識には世界から独立し、孤立化しようとする本性的傾向がありますが、無意識の根っこの次元(集合的無意識)では、宇宙と他の生命体に固く結びつけられた受動的存在(生かされている存在)に過ぎないのです。
複数の人間にとって集合的無意識は1つですから、あらゆる場所と全ての時間において同一なのです。

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タオ

太極図

易経には「太極分かれて両儀あり」と言う有名な言葉があります。「太極」とは「道」Tao(タオ)つまり宇宙の全ての現象の根本になる究極のリアリティーで見る事は出来ません(知覚出来ません)。
「両儀」とは「陰陽」の気の働きの事で、これは私達が経験(知覚)する事が出来ます。つまり究極の不可見のタオから、経験できる2つの状態が分かれてくるというのです。
日本の湯川秀樹博士も、老子思想に深い関心を寄せ「タオ」というのは素粒子が様々に分化してくる以前の根源的未分化な状態を言った物である、と言う考え方をされています。

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心理学・物理学・易経における世界観

私達の意識は、外界では物質現象を感覚しています。一方意識の内面では無意識から湧き出るイメージ(夢や幻想)を経験します。 (下図参照)

  (※1)         (※2)
心理学: 物質現象 ←外界 ←意識→ 内面→ 心理現象(夢・幻想)→ 集合無意識
物理学: 物質       素粒子
  独立化(個立)した世界         一体化した世界
  分離した時間・空間         1つの時間・空間
易 経: (両儀) ←見える世界 ←両極に分かれて   ←見えない世界 ←(太極・タオ)
  ←←← ←←← 無意識の心理状態  

共時性の考え方はこの(※1)と(※2)の間に意識には分からない(捉えられない)潜在的な対応関係、つまり一種の予定調和の関係があると言う事を意味します。その一部を読み取るのが易という事でしょうか。

(※1):マクロ(巨視的)な世界。この世の森羅万象の世界。
物理学で言うとガリレイ・ニュートン的な古典力学の世界。
私達の身体は物理的因果関係、時間、空間に制約されている。
日常の世界は認識主観(私)とは無関係に存在する。
易経で言うと「両儀」(「陰陽」)の世界。
(※2):ミクロ(微視的)な世界。ユングの言う集合無意識の世界。
物理学でいうと量子力学の世界。観測者の意識が対象に影響を与える。
認識主観(私)と対象(周りの世界)は相互依存的な相関関係があって(一体化、同化していて)各々を独立して考える事が出来ない(主客同体)。
易経で言う太極「タオ」の世界。

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私の運命とは?

このように見てくると「私」とは、大宇宙から切り離して1人で独立して存在しているわけではなく、大きな全体の一部に取り込まれていると考えられます。
そして、「私」とはその大きな宇宙の中での1つのエネルギーパターン(性質・個性=運命)であって、私達の人生とは全宇宙や他の生命体と関連しあって運行される受動的存在(生かされている存在)なのではないでしょうか。
私達人間の肉体は、たった1つ受精卵が細胞分裂を繰り返して行き、何億もの細胞に増えて出来て行きます。その過程で、1人の人間を形作ろうという大きな全体を束ねる意思(細胞達の集合意識)によって各細胞達は、いつの間にか各組織、器官に分化して行き、ただの細胞の塊になる事無く、全体としてちゃんと上手く機能した人間の体を作り上げて行くのです。
それと同じように、私達を細胞のフラクタル(相似象)と考えると、私達人間も全体(人類)を束ねる大きな意思(人類の集合無意識)によって、それぞれに与えられた役割(それを運命や宿命と言う事も出来るし個性、才能と言う事も出来ます)を生きて行き、その役割に従う事こそが本人(各個人)にとってもっとも選択したいと思う、喜びとして感じられる事なのでは無いでしょうか。
そして、各人がそのように個性や才能を発揮して生きる事こそが、人類全体としても上手く機能・存在してゆく事に繋がるのではないでしょうか。
無意識からの閃きの声に耳を傾け、その閃きを形にして行きたいと言う衝動に従っている限り、喜びと無限の自由がある(個性・才能を生かせる)と言えるし、その閃きを閉ざして自我(表在意識)が無意識(宇宙)と自分を切り離してとらえた時、不自由を感じ、無意識による「補償」の働きを運命・宿命による束縛と感じるのでは無いでしょうか。
運命とは「定められている物」であり、自由意志とは自らが「選択する物」であるという考え方は、人間を大きな全体を束ねる意思(宇宙・集合的無意識)から切り離し、個・自我で考えた時の発想であったのです。
つまり運命とは、個を超えたより大きな集合無意識による自由意志の現れであり個性であり才能とも言えます。
それに抵抗すれば補償の作用が働き困難な状況が訪れ、ゆだねれば才能を存分に開花させ人生を楽しむ事が出来ると言う事ではないでしょうか。
そして、占星術や易とは(宇宙と分離している)自我が自分の無意識の選択(つまり大きな全体を束ねる意思)に気がつく様にする1つの手段と言う事ではないでしょうか。
となれば、占星術も捨てたのもではありません、利用しない手は無いですね・・・。
【参考図書】
図説世界占術大全 魔術から科学へ:アルバート・S・ライオンズ/原書房
占星学:リズ・グリーン/青土社
宗教と科学の間(共時性・超心理学・気の科学):湯浅 泰雄/名著刊行会

占星術師との出会い占星術フラクタル占星術の歴史心理学と占星術占星術の目的
易経とユング補償作用(自然治癒力)タオ心理学・物理学・易経における世界観私の運命とは?