西洋医学が発達した現代では、自然に生まれて自然に死ぬことが難しくなっています。
生老病死の生命現象だけに囚われて一喜一憂するのではなく、一番大切なその内容(どう生まれて、どう生きて、どう死ぬか)を考えて行きましょう。
「生老病死」は逆らえない自然現象であって、「死」は別に悪い事ではありません。 より良く生き、老い、病み、死んで体験して行く事が大切ではないでしょうか。
「死」を悪いものとして避けるのでは無く、むしろしっかり見つめる事がより幸せな人生を送る鍵の1つはではないでしょうか。
西洋医学では、死について語られません。正に盲点となっています。
私達の中でも暗黙の了解として(医療従事者であろうと、患者であろうと)死は悪いもの、いけない物のようにすら扱われています。
多くの病院では4階は事務室に使われ、4号室は存在しません。
これは正に「死(し)=4(し)」を避けている事を象徴しています。
その為に、本人の意識がなくなって肉体的寿命が来ても、無理な延命治療が行われているのです。
西洋医学が発達した現代では「自然に死ぬ」という事が難しくなってしまったのです。
何処で生まれ何処で死ぬ
今、自宅で生まれ、自宅で死ぬ事はほとんど無くなって来ました。
厚生省の統計によると、昭和25(1950年)には日本人の95.4%が自宅・その他で出産していましたが、昭和35年(1960年)に逆転し病院・もしくはそれに類する施設での出産が50.1%になりました。そして、平成3年(1991年)には99.9%になったのです。
また、昭和25年(1950年)には日本人の88.9%が自宅・その他で死亡していましたが昭和52年(1977年)には、75.9%の人が病院・診療所で死亡しています。そして、平成3年(1991年)には75.9%の人が病院・診療所で死亡しています。
厚生省大臣官房統計情報部編「人口動態統計」
死ぬ時を見ると、どんな人だったか分かる
生まれて来た私達の死亡率は100%です、生まれる事が自然な事であるならば死ぬ事も自然な事なのです。
その事に良い悪いなどあるのでしょうか?
「生」に悔いが残るからこそ「死」がマイナスのイメージで捉えられるのかも知れません。
しっかりと「生」を悔いなく「生き切れば」むしろ「死」は祝福されるべき物ではないでしょうか。
私は、今まで病院で何例もの患者さんの色いろな最期に立ち会ってきました。
多くのお年寄り達は最後の時を1人ポツンと寂しく病院で過ごしています。
そのうち意識朦朧状態になって来て「いよいよ」となって来ると、その最後の最後の時だけ急に家族が大勢集まって来ます。
そして死亡確認をすると、いっせいにオイオイ泣き出す事が良くありました。
患者さんに誰一人触れようとはしませんし、掛ける言葉もほとんどありません。
ただ泣きじゃくるので精一杯です。
そんな時、患者さんは決まって、見るからに寂しそうな表情をしています。
そんなに悲しむのだったら元気な時にもっとお見舞いに来て、優しくお世話をしてあげれば良いのにと思うのでした。
この「涙」の中には「寂しさ」だけでなく「後悔の念」も入っているのでしょうか。
一方、とても印象に残っている家族がいます。
私が受け持っていた、そのおじいさんは家族皆に慕われて人気者でした。
よほど良いおじいさんだったのでしょう。
皆、毎日のようにお見舞いに来ては一生懸命世話をしてあげていました。
いよいよ最後が近づいてくると、家族交代で泊り込んで看病していました。
そしてとうとうある日、暖かい家族に囲まれてそのおじいさんが亡くなったのです。
ベッドの上で本人はとても穏やかな優しい微笑を浮かべています。
周りの家族も誰一人、涙する者は無く、皆で口々に「お疲れ様でした、有難う御座いました・良かったね」と顔を撫でていたり、手をさすったりしています。
感謝の言葉一杯に気持ちよく送り出していたのです。
私はこれが理想的な最後ではないかと思ったのでした。
誕生が祝福される物ならば、死も祝福される物なのではないでしょうか。
その人の最後を見ると、その人がどういう人だったかが大体分かります。
自分が振りまいて来た優しさや愛情が最後に全部自分に返ってくるのです。
死を見つめる事で生を見つめる
しっかりと「死」を見つめ「死」を意識する事で、逆にその対極にある「生」をしっかりと見つめ、生きがいを持って生きる事が出来るようになったりもするのです。
「死の意味」を避けて、曖昧にしておく事で、その対極である「生の意味」も曖昧となり、ただ何となくポーっと毎日を過ごしてしまう事にも繋がるのではないでしょうか。
死と正面から向き合う事で意識の成長、進化がもたらされる事があるのです。
どういう死に方をしたいか聞くと多くの人は
「痛くない様に苦しまずに、す‐っと安らかに眠る様に死にたい」と言いますが。
さて、ではどうしたら、後悔無くす‐っと安らかに眠る様に死ねるのでしょうか? 今、PPK(ピンピン・コロリ=Pin Pin Korori)運動というものがあります。
やりたい事をしっかりやって、コロリと死んでゆくのが、本人も楽だし回りにも一番迷惑をかけなくて良いという運動です。
自分らしい悔いのない人生を生き、この世でやるべき事が終わったら自ら死を悟り潔く逝く。つまり、いかに「より良く死ぬ」かとうい事を真剣に突き詰めて考えてゆくと、いかに「自分の人生を生きるか」と言う事を真剣に考えなくてはならなくなってくるのです。
生と死は表裏一体で、切り離しては考えられない物だったのです。
大往生(死)するためには「いかに自分の人生を生きるか」が大切になってきます。
「生」の所でも書きましたが、私達各個人は元々無限の可能性を秘めているのです。
各個人の才能を存分に発揮することが最終的にPPKへ繋がるのではないでしょうか。
人生の始まり(誕生)から最大限に可能性を引き出して、才能を発揮して人生を生き尽くしたならば、最高の終わり(臨終)を迎えらるのではないでしょうか。
そして、そういった「生」と「死」の間に挟まれている人生もまた幸せな、充実した物になるのではないでしょうか。
丁度オセロのように量端が白いと、その間が少々黒く思えても、結果的に最後には全部ひっくり返って白になってしまうのです。
ホスピス医のお話
ここで、終末期医療を専門としているホスピス医の話しを見てみましょう。
患者さんは「余命はあと少しです」と、死を宣告され現代西洋医学でどうにもやりようが無くなり、残された人生のQOLを求めてここにやって来ます。
90歳で癌が見つかり寝たきりの状態になって、「後3ヶ月ですよ」と宣告されホスピスに回って来たおばあちゃん。
ここでは、本人の意思を尊重し嫌な事は何もしません。
毎日話し相手になったり、死後の世界について話したり心のケアを行っていっていたら3ヶ月した頃には車椅子に乗れる様になり、半年後には介助で立てるようになり、1年後には杖ついて歩いて、2年後には杖無しで歩いて退院していったというケースもありました。
1人歩き出すと次々と連鎖的に奇跡が起こり始め、寝たきりだった患者さん達が次々と歩き出す事もあるのです。
現代医療でさじ投げられて、もう治らないからホスピスに行きなさいと言われて来たのに、ホスピスに来てから良くなって退院する人も中にはいるのです。
こういった現象は科学では計り知る事が出来ません。
癌が進行して食事が食べられなくなると普通の病院ではカロリーの高い点滴を行って栄養補給し、水々しい状態を何とか維持しようとします。 ホスピスでは本人の食べ具合に任せます。
すると癌にも栄養が行かなくなり、結果的に癌も大きくなれず進行が遅くなり、好きな物を食べられたりするのです。
モルヒネの量は少なくて(使わなくて)済みますし、大出血したり、のたうちまわって死ぬ事もありません。
丁度、草木が自然に枯れてゆき、ちょっと触ると葉がヒラヒラっと落ちて行く様に静かに死んで行くのです。
しかし点滴で無理矢理水々しくしているとモルヒネの必要量は多くなり、最後は大出血したり、のたうちまわって死んで行くことが多いのです。
調度水々しい草木を折ると「バキッ」と行くように。
生まれたからには死んでいきます。そして死ぬ時は多くの人が病気になって死んで行くのです。
病気になって死へ向かう時、地位・名誉・お金もなく生まれた時と同じ状態になって死んで行きます。
最後は動けなくなって下の世話も人にやってもらわなくてはならなくなります。
自分が出来ない事を認め・他人のやり方を認め・周りに感謝する事が必要になって来るのです。
死は神がもたらすごく自然な事なのです。
今、ストレス無く幸せに暮らしていれば幸せに死んで行けます。死ぬ直前にその幸せが何十倍にもなってやって来て、そして天子の様な微笑んだ顔で死んで行きます。
今、嫌なストレスが沢山あると幸せに死ねません。死ぬ直前にその嫌なストレスが何十倍にもなってやってくるのです。
キュブラー・ロス博士の臨死体験研究
今度は、18もの博士号を持つスイス生まれの精神科医エリザベス・キュブラー・ロス博士の「死の概念」を見てみましょう。
ロス博士は「死の問題」や「終末期医療」と真剣に向き合って、ホスピス(末期患者の苦痛を軽減する為の施設)をアメリカ中、世界中に浸透させたのです。
シカゴ大学精神医学部教授という経歴もある世界的に著名な科学者で、「死の臨床」という分野では世界の第一人者です。
ロス博士は色々な臨死体験(意識不明状態で死の淵をさまよった結果、奇跡的に助かった人達の語る体験)や多くの子供達の死に関わるうちに魂の不死と死後の生を確信するようになりました。
そして2万件以上の臨死体験を集め死後の世界を研究してきたのです。
その多くは国・宗教・文化・人種などの違いにかかわらず全人類に共通する体験だったのです。
ゆっくりと死の準備をする患者達は(癌の子供達もそうですが)死に先立って、自分の肉体から離れる事が出来るという事に気付きます。
いわゆる肉体離脱=体外離脱体験です。
興味深い事に、人々はゆっくり死が近づいて来た場合だけでなく、事故にあったとか、殺されかかったとか、自殺を企てたと言う場合でも体外離脱体験(臨死体験)をしているのです。
こういった臨死体験のうち、多くの人の共通点を見てみましょう。
- 体外離脱体験:自分の物理的肉体から第2の霊的身体(エーテル体)が抜け出します。
これは物理的肉体がどういう状態であれ、傷1つ無い完全な身体です(盲目でもなければ、手足を切断されてもいません)。
これは心的エネルギーを使って作られた、全く一時的な仮の身体です。この肉体は痛みも障害も感じません。意識より次元の高い超意識になる為、他人の考えている事も分かります。さらに時間も空間も無い世界になるので思考と同じスピードで何処でも好きな所へ行く事が出来ます。
この第2の肉体を感じながら、意識不明になっている物理的肉体からほんの少し離れた所で周囲を見ています。自分の事故現場とか、意識不明の自分を蘇生している医師達、泣きじゃくる家族・・。本人には周囲がよく見えますが、逆に周りの人にはこの霊的肉体は見る事が出来ません。
- 移行を象徴するものを通過:これは文化によって異なり、門・橋・川・トンネル等が多いです。
これを通り過ぎてしまうと筆舌に尽くしがたい程の眩い光が見えてきます。この光の前で、私達は自分のしてきた事全てを振り返ります。今までの行動や今まで話した一語一句まで全て思い出すのです。
それはつまり、自分の思考、言葉、行い、選択の1つ1つがいかに人に影響を与えたか、どんな結果を生じたかに直面する事になるのです。そこで、自分自身を成長させる沢山の機会を見逃してきた事で自分を責め、自分自身が最強の敵であった事に気付くのです。人生における致命的なショック(子供が死んだ・心臓発作で苦しんだ・・)の全ては、単に自分自身を成長させる可能性の1つに過ぎなかったと悟るのです。
この折角の機会を有効に利用しないで、私はショックがある毎に激しい怒りと否定的な感情をますます強めて行って自ら不幸にしてしまっていた・・・と後悔するのです。
そして光の愛に包まれた時、大切なのはただ1つ「愛」だという事を理解するのです。
もし、1度でもそれを体験したら、もう絶対に死は恐くはありません。
大切なのはむしろ人生をどう生きたかという事だったのです。そして私達は自分の「生」に全面的に責任がある事を感じるのです。自分の「生」は全て自分だけに責任があったのです。この事に気がついて生き方が変わってきます。
- 死んでも1人ではないと分かる:体外離脱体験の最中には、自分を助け、導いてくれる。
存在が自分の周囲にいる事に気付きます。幼い子供達は彼らを「遊び友達」と呼び、クリスチャンは「守護天使」と呼び、多くの研究者は「守護霊」と呼んでいます。そして、先に死んだ人、それも私達が愛していた人(祖父母・父母・昔亡くした子供、等)が出迎えてくれるのです。
多くの子供達の死に立ち会って来たロス博士は、死に行く子供達に「死ぬってどういう事?」と聞かれると、「物理的肉体を繭」に「霊的存在を蝶」に例えていつもこう説明します。
「肉体は繭に過ぎず、本当の自己(すなわち蝶)は不死・不滅であり死と呼ばれる瞬間に自由となるのです。私達の肉体は本当の自己ではなく、仮住まいの家に過ぎません。死とはただ、蝶が繭を脱ぐのと同じように、肉体を脱ぐだけに過ぎないのです。」
そこは、苦しみは無く、「光り」、「喜び」、「筆舌に尽くしがたい程の愛」、「安らぎに」満ち溢れた素晴らしい世界だったのです。
この臨死体験は アメリカの各種調査では死にかけて生き返った人の3割前後が体験していたのです。
そして、この日本でも大学付属病院の救急外来に運び込まれた意識不明患者で、 その後蘇生して知的障害を残さなかった33人のうち36%が臨死体験をしていたと言う報告があります。
臨死体験の例
具体的なケースを1つご紹介しましょう。
37歳のお百姓さんのケース
酔っぱらったまま鉄棒をしていて、コンクリートの上に頭から落ちてしまったんです。 頭を約五十針も縫い、医者によれば助かったのは奇跡だったようです。
6時間も意識不明の状態が続きましたが、その間、一時ベッドに寝ている自分を部屋の天上の辺りから見下ろしていたんです。
気がづくと、辺りはまばゆい光に満ち、身も心も清められている様な幸福感に包まれていました。何とも言いがたい心地よさだったのを覚えています。
「これは一体何事か?」と心が騒いだとたん、痛みが待つ肉体に戻って行きました。
この体験を通して「死」が本当にあっけなく、全く苦しみもない物なのだと知らされたのです。
死んでみると、この世に自分の物は何もない事に気がつきました。
その事が分かったとたん、色々な「欲」が無くなりました。
生死の境から生き返ったのですから、「何か生きてすべき事がある」と思うようになったんです。
私は百姓ですから、いい野菜、いい米を作って多くの人に食べていただく、その為の方法を、これまでになく真剣に考える様になったのです。
1日1日をしっかりと生き切って、いつでも「今日死んでもいい」と思えるような生き方をしたいと思っています。
臨死体験者のその前後での変化
臨死体験者のその前後での共通の変化をまとめてみると以下のようになります。
- 死が恐くなくなった。
- 生きる事をとても大切にする様になった、より良く生きようと思うようになった。
- 死ぬときは死ぬ、生きている間にしか出来ない事を思いっきりしておきたい。
- 人生観が変る、人間的に成長する。
「死」をしっかりと意識する事で、「生」もしっかり意識するようになったんですね。
キュブラー・ロス博士の死生感
ここでもう一度、ロス博士の話に耳を傾けてみましょう。
私は肉体をまとったこの人生、この時間は、私の全存在のうちで本当に短い期間であると言う確信を持っています。
そして、この世での期間はとても大切な物です。
何故なら、皆さんは自分の目的、自分だけの特別な目的を持ってここに生まれてきているからです。
慢性の精神分裂症だろうが、ひどい知恵遅れの子供だろうが、末期疾患を患っている患者だろうが、誰しも目的を持っています。彼ら一人ひとりはあなたから教えられ、助けられるだけでなく、実際あなたの教師にもなるのです。
幸せに生きているなら、死ぬ事を心配する必要はありません。
たとえ1日しか生きられないとしても時間の問題は、さほど重要ではないのです。
というのも、時間は人間が作り出した人工的な概念だからです。
幸せに生きるという事は、基本的には愛する事を学ぶ事を意味するのです。
私が聖人と考えているマザーテレサは「インドで死に行く人達、飢えた人達を、たったの5分間でも抱きしめて愛を与えてあげる事が出来れば、彼らにこの世に生まれてきた価値を与える事になる」と強く信じていました。
私達に最も必要なのは、無条件で人を愛し、愛される事が出来るようになる事です。
「もしも〜」という条件付の愛が、何よりも私達の人生を台無しにしているのです。
もしもおりこうさんだったら、もしも成績が良かったら愛してもらえる、という考えにさせているのです。
無条件の愛を受けて育ったならば、人生の嵐が吹き荒れても恐れる事無く、くぐり抜ける事ができるでしょう。
キュブラー・ロス博士の体外離脱体験
私は何人かの懐疑的な研究者達に見守られながら、医学的に誘発する体外離脱体験をした事があります。
何度目かの試みの際、私は自分の体を離れたのです。そして自分の体に戻ってきた時、唯一覚えていたのは「シャンティ・ニラヤ」という言葉でした。
この時はこの意味は全く分かりませんでした。
そこにいた誰もが何があったのかとしきりに情報を求めて来るのですが、その日の晩まで自分が何処にいたのか見当もつきませんでした。
その晩は林の中にあるゲストハウスで1人で過ごしました。 その夜ハウスで緊張がとれた瞬間、おそらくこの世の誰もが経験した事の無いほどの苦痛と苦悶の体験が起きたのです。
この時私は今まで見てきた何千人もの患者さん達の死を体験しました。 それは全身全霊に渡る激しい苦しみと痛みで呼吸も体を伸ばす事も出来ない程でした。
その長い苦しみの間、3度だけ苦しみから開放された瞬間がありました。
最初の開放された時、もたれる為に「男の人の肩」が欲しいと願いました。男の人の左肩に頭を置く事が出来ればいくらかこの苦しみも楽になると期待したのです。
しかし、その瞬間「与える事は出来ません!」と聞こえてきました。
2回目に開放された時、今度はつかまる為の「手」が欲しいと願いました。
するとまた同じ声で「与える事は出来ません!」と告げられました。
そして最後の3回目に開放された時、今度は「指先」を求めようかと考えましたが、「いいえ、やっぱりいいわ、いらない!」と言ってしまいました。
その時、私は自分が戦うのを止め、抵抗するのを止めて、ただ、安らかで積極的な服従(その事に、ただ「ハイ」という事が出来る事)へと変えるだけで良いという事に気付きました。
そして頭の中で「ハイ」と言ったと同時に、激しい苦痛は無くなりました。
そして私の患者さん達が口を揃えていっていたあの眩い光が見えてきました。
そしてこの驚くべき無条件の愛、つまり光に溶け込んで行きました。
私はその一部となったのです。
およそ1時間半ぐらいたってから、私は目を覚まし、ローブを身につけ丘を下りて行きました。
私は周りの生きとし生きるもの全ての命に対する完全な愛と畏敬とに包まれまていました。葉の1枚1枚、雲の1つ1つ、草の1本1本、全てを愛しました。
これは生きとし生きるもの全ての命の意識と、言葉では言い表せない愛の意識が宇宙に広がっている事への気付きだったのです。
後に、シャンティ・ニヤラとは「安らぎの最後の家」と言う意味で「誰もが激しい苦しみや痛み、悲しみや嘆きを切り抜けてから戻る場所」である事が後で分かりました。
そこは、私達が苦痛を手放して、創造されたままの存在、身体と感情と知性と霊性の4つの面が調和した存在、つまり真実の愛を理解し要求や「もしも〜」という言葉など一切必要としない存在になる所です。
この愛の状態を知る事が出来れば、誰もが完全で健康で、皆たった1度の生涯で自分の運命を成就する事が出来るのです。
チベット死者の書
他にも人間の「死」にしっかりと向き合う時に非常に参考になるものがあります。
それは「チベット死者の書」です。
チベット密教には埋蔵経と呼ばれる膨大な文献があり、長い間、山中の洞窟などに隠されていると言う伝承があります。
これは、神託や霊感を受けた修行者によって、時代の必要に応じて、必要な時に必要な経典が発見されて行くと言うのです。
「バルド・トドゥル(チベット死者の書)」は紀元8,9世紀にチベット仏教の開祖が著した経典とされ、山中に秘められていたのを、14,15世紀に修行者が発見したと伝えられています。
正に「死」が困難になった現代こそ、この経典が必要な時だった訳です。
心理学者ユングは「チベット死者の書」に自分が考えてきた人間の魂の在り方の姿と、本質的な共通点を発見し感激したのです。
「私はこの書から多くの刺激や知識を与えられたばかりでなく、多くの根源的洞察をも教えられた。」C・G・ユング。
「チベット死者の書」はチベット仏教に伝承されている死者の道案内をする為の経典で、 死の瞬間のバルド(死の直後)・心と本体のバルド(死後3・4日して始まる)・再生のバルド(死後22日から始まる)の3段階に分かれています。
死を迎えようとする人の枕元に僧侶が座り、耳元で声に出してこの経典を読み聞かせるのです。
死者が荼毘(だび)に付された後も49日間毎日読み続けられます。
49日というのは、この間に輪廻して生まれ変わってしまうという期限を指します。
チベット仏教では生命の本質は心であり、その心の本体は純粋な光だと考えています。
生きている間は、肉体も心も多層的な構造をとっている為、その本質の光明はなかなか現れません。
しかし、「チベット死者の書」では「呼吸がまさに止まろうとするその瞬間、意識が肉体の外に出て、死んでいるのか生きているのか彼自身良く分からなくなります。彼には家族がそこに集まっているのが生きていた時と同じようにはっきり見え、泣く声も聞こえるのです。」
経典は家族や親戚のものが泣き声や悲しみの言葉を発する事を戒めています。死者の意識を混乱させるだけだと言うのです。
「そして死の直後に、純粋な光明が誰にでも現れて来ます。これこそが生命の根源を作っている本質であり、宇宙のように広大で空虚で、中心も境界も無く、純粋でありのままの心なのです。あなたはその心の状態を自覚し、その中に安らぎを見出すのです。」と説かれているのです。
この事を、臨死体験をした多くの人は「体外離脱体験、そして、まばゆい光とそれに包まれた時の幸福感」と表現していたのではないでしょうか。
人間の目的は、心の奥底まで探求する事にあり、その意識の世界を自覚する事です。
死とは人生の一部であり変容(トランスフォーメーション)に過ぎず新たな目覚めへの出発点として積極的に捉えていたのです。
これは丁度、ロス博士が良く例えていた「死とは繭から自由な蝶へ変容する事に過ぎない」と言っていたのと全く同じ教えだったのです。
ハーバード大学心理学教授によるLSD研究
1961年ハーバード大学心理学教授リチャード・アルパートは幻覚薬(特にLSD)の心理に与える研究を行っていました。わずかな化学物質が、日常感覚とは全く違う世界を体験させてしまう事の影響は圧倒的だったのです。
これらの実験を通して幻覚薬が単に感覚や意識を変容させるだけでなく、外部の圧力から自己を開放させて新たな内面の自由を獲得する手段としても有効ではないかと考える一方、その限界にも気付いていました。LSDの効果は持続せず、時間が経てば日常に逆戻りしてしまうのは当然の事で、もっと内面的な根源への欲求が高まってきたのでした。
そんな彼が「チベット死者の書」に出会った時、興奮してこんな事を言ったのです。「この書物はチベットの僧が死と再生の準備をするために使ってきたものですが、読んで見るとそれは完璧に、私達がサイケデリック物質を使って行った実験の描写そのままだったのです。ありえない事でした。あまりにも似ているのです!」
この出会いから少しずつ関心の方向を変えてゆきます。
Dying project
死をタブー視するアメリカ社会には、「死」について語りあう場が必要だと考え「dying project(死ぬ為の計画)」を始めたのです。
このプロジェクトを支えていったのはスティーブン・レヴァインでした。
Dying centerは死を迎える為の施設ですが、このセンターの原則の1つは「死期が近い事をきちんと知らせる」事でもう1つは「延命治療をしない」という事でした。
ごく自然に死を迎える事が重要で、病院のように死ぬ前に治療で疲れきったり、薬で朦朧として死を迎えるのを避けました。死の瞬間を人間としての尊厳を持って、きちんとした意識を持って迎えてもらいたいというのが狙いでした。
自然な状態で亡くなる時、死のプロセスは、はっきりしてきます。
残りの日々をかみ締めるように過ごして来た人の死の瞬間は実に平和で、喜びに溢れていました。
そこで働くボランティアスタッフにとっては、死を学ぶ場と成っていました。そのボランティア達は皆、死の瞬間を、安らかで愛情に包まれた素晴らしい瞬間であると感じたのです。
レヴァインは「チベット死者の書」を現代アメリカ人にも分かり易いように翻訳しなおしました。そして、息を引き取る時このように語りかけたのでした。
友よ。今、あなたに死が訪れようとしています。
ですから、あなたをこの世に縛り付けている執着を手放しましょう。
あなたは、死という変容を迎えています。肉体から意識が離れるにつれて今までに無い経験をして行きます。その変化をそのまま受けとめましょう。
あなたは、今、肉体の重い束縛から解放されました。
そして目の前に輝く純粋な光の中に溶け込んでゆきます、この光こそあなたの本質なのです。この光の中であるがままに身を任せましょう。何ものも押しのけてはいけません、何ものにもすがってはいけません。何ものにも執着する事なく、この限りない広がりの中に、あなたの本性であるこの光の中に溶け込むのです。
始まりも終わりもないこの永遠の光です。
肉体に執着してはいけません、執着すれば、自分の意識が作り出した迷いと混乱の幻想の中でさまよい、自分の幻想に恐怖するだけなのです。
Living dying project
このDying centerは無料奉仕活動であったため財政的に行き詰まり1984年にその幕を降ろしました。
そしてその数年後、デール・ボーグラムが「死と生は切り離せない」という事をもっとはっきりさせる為「living dying project」と名前を変えて再スタートさせました。この頃アメリカはエイズの時代を迎えようとしていたのです。
彼も「チベット死者の書」を末期エイズ患者に分かり易いように次のようにして語りかけていったのです。
友よ、よく聞いてください。
あなたの本質は創造力と知性を備えた空なるものなのです。
形も色もなく物質でもありません。
あなたの意識は無限の可能性を持っていて喜びに溢れています。
友よ、あなたが今経験しているのは、自分自身の意識そのものです。
その輝く光が悟りに繋がるのです。
友よ、旅立つ時が来ました。死は誰にでも訪れます。
だからこの世へのこだわりを捨てましょう。
あなたはこれから、自分の意識の生の姿を経験します。
その時あなたは恐怖を感じるかも知れません。
あなたの意識に映る幻想は、あなたが作り上げたものなのです。
あなたの未熟な部分が幻想となって現れているのです。
それを恐れてはいけません。
あなたはもはや、物質的な肉体を持たないのですから、何物もあなたに害を与える事は出来ないのです。
あなたの本質である光に溶け込んだときあなたは完全に守られています。
この安心感を忘れないようにしましょう。自分の本質を信じるのです。
何もしなくていい。この意識の中で、自由にあるがままでいましょう。
ここでボランティアを希望する市民は百人以上もいます。 そしてアメリカ政府は、ホスピスが今後の重要な問題になる事を予測して、このプロジェクトに意見と資料の提供の協力を依頼してきたのです。
「チベット死者の書」では、「私達の本質は生と死を超えて続く始まりも終わりも無い、そして生と死は別々に分かれているのではなくて、生も死も同じ1つのプロセス、つまり旅のような物である。だからこそ、今のこの瞬間、瞬間を大切に過ごさなければ、本質には行き着かない単なる旅で終わってしまう。」と私達に語りかけているのです。
つまり「死」をしっかり見つめる事で、「今」をしっかり生きる事を促していたのです。
ダライ・ラマによる「生きる事」とは
チベット社会の頂点に立ち、ノーベル平和賞受賞後ますます世界中を行脚するダライ・ラマは先代の13代ダライ・ラマの生まれ変わりと信じられています。
「チベット死者の書」のような世界感を持ったダライ・ラマは「生きる事」について次のように語っています。
人生の目的は「幸福と快さ」にあると言うのが私の基本理念です。
これはいかにして得られるものなのでしょうか?
私達は肉体と心を持っています。
この2つを比べると心による体験のほうが優れていると言えます。
物質的な環境が整っていれば肉体的には安楽です、しかしお金も機械も心の安らぎを与えてくれる事はありません。
心の安らぎは個々人自らが見出し、培ってゆくしかないのです。
それには心の訓練を行うことです。
私個人の経験によると、心の安らぎを得られる源は善き心です。
心の安らぎを破壊する最も強力な力は憎しみ、極端な執着、慢心、疑い、恐怖です。
温かい慈悲の心、善き心はこれらを弱めて行く事になるのです。
宗教を信じていようがいまいが全く関係がありません。
心に安らぎが持てるようになると、自然に友好的で調和的な雰囲気が醸し出され、その結果あなたの周囲まであなたの温かい心の影響を受け恩恵をこうむるでしょう。
生命の本質は心でありその心を訓練する事で、快さと安らぎを得られる源(善き心)が生まれると言うのです。
【参考図書】
「死ぬ瞬間」と臨死体験:E・キュブラー・ロス/読売新聞社
死後の真実:E・キュブラー・ロス/日本教文社
証言・臨死体験:立花 隆/文藝春秋
チベット死者の書:河邑厚徳 林由香里/NHK出版
|